既婚、元多重債務のギャンブル依存サラリーマンの借金体験記1

カジノを含むIR構想の実現が、現実的な物になってきましたね。

あくまで海外からの観光客をターゲットにしていることから、日本国民の依存症対策なども講じられていますが、真剣に取り組んでほしいものです。

借金体験記を書いてみようと思います。

正直、こういった体験記が役に立つのかは不明ですが、暇つぶしでもなんでも、どういった形であれ、読んでくれた人に何かを感じてもらえればいいなと思います。では、とあるブラックリスト入り人間の、後悔にまみれた半生のはじまりはじまり。

ビギナーズラックは、ボディブローのように。

いきなりではあるけれど、自分が初めてパチンコ屋に入ったのはまだ未成年だったころのように思う。未成年というか、未就学児だったんじゃないかな 汗)。当時、町工場の社長だった祖父と夕食を済ませた帰り、酔っぱらって気分の良くなった祖父が、私の両親と私を連れてパチンコ屋に入ったのが、人生で初めての体験。自分自身が当たりを引くことはなかったが、付き合い程度に母が台に座らせてくれ、一度か二度玉貸しをしてくれたように記憶している。

そして、当たりを引いた祖父が、出玉をスライムを使って遊ぶ玩具の景品と交換してくれた。(貸し球だけれど)球がジャラジャラ出る感覚が楽しかったのと、祖父が好感してくれた景品を手に、とても喜んだ私は、当然のように『パチンコは楽しいものだ』と思ったのだった。

その後、しばらくパチンコ屋に行く機会はなかったものの、数年後、当時悪い遊びを教えてくれていたいとこに連れられ、パチンコ屋に行くことに。いとこは“CR大工の源さん”にはまっており、軍資金を私にいくらか渡して(当時金のなかった私に、貸すのではなく、くれていた)、お互いに打ち込んでいた。

当時のパチンコは出玉も多く、確変図柄を引けば2回ループ、一撃で数万発出ることも珍しくなかった。そして、私の軍資金が尽きようとしたその時。

確変図柄を引いた。

他人が引いた当たりではなく、自分が引き当てた当たり。金のない私にとって、1時間程度、ゲームに興じ、当たりを引いてから、ものの数分で30,000円程の現金を手にしたことは、脳に強烈な記憶を焼き付けた。

一言では言えないが、楽しさや、大当たりを引いたときの興奮、球が流れたり、打ち出されたりする音や、液晶の動きと音、金を手にした時の喜び。快感以外の何物でもなかった。

そして、そのビギナーズラックでもたらされた快感は、その後の私の人生において、今に至るまでの15年という長い年月の間、とても大切なものをむしり取っていく、得体の知れないものに姿を変えていくのであった。

じわじわと。ボディブローの様に、後から効いて来るのだった。つづく。

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